こっこ、主婦をする

26歳、超ゆるキャリママです。東京のタワーマンションから思いがけず田舎の村に移住してしまったよ。思ったことをつらつら書くよ。

子どもの虐待死に思うママの孤独

こんにちは。最近悲しいニュースが多いですね。子どもの虐待。

 

大森の事件では、母親の交際相手からの暴行で3歳の男の子が亡くなりました。

「なんで守ってやれなかったんだ」とか「母親失格」と責めるのは簡単なんですが、こんなことになったのは何故?って事を考えずにはいられません。こんな男を大事な息子と過ごす空間に受け入れ、しかも暴力まで容認してしまうという異常な状態になってしまったのはなんで?ってことです。

 

知り合いでもなんでもないので、詳しいことは分かりませんが、この母親はシングルマザーで3歳まで育ててたんですね。しかも若くて、経済的に余裕があるわけでもない。

 

女性ひとりで子どもを育てていくということは、「当面生活をしていくには困らないお金があって」「当たり前のように家事育児をシェアできる夫がいて」「自分の家族や友達、職場などの逃げ道をもっている」状態で育児をしている人には想像もできない、孤独や不安があると思うのです。

 

自分が倒れたらこの子は生きていけない。仕事もがんばらないといけない。大好きな息子との時間も大切にしたい。自分の時間もとれない。離婚なのか未婚だったのかは分かりませんが、きっと傷つくこともあったんだろうと思います。「しんどいね」も「かわいいね」も共有できる相手がいない。子を産み、育てていくなかでいろんな葛藤やストレスを抱えながら、3年間やってきたんじゃないだろうかと思ってしまうんですよね。

 

ほんとに、子育てしてると精神的にめちゃくちゃ追いつめられるときがあります。ストレス感じたことないママなんているのかな?もう嫌だと思うことは誰だってあるし、手をあげたくなるほど精神崩壊しそうな時も、正直わたしはありました。これからもあるかもしれない。

 

だけど、幸いなことに自分にはたまたま、逃げられる場所(仕事や友人、家族)があって、逃げられる時間もあって、それを許してくれる夫(パートナー)がいる。しんどさを「そうだよね、わかるよ」って言ってくれる人がいる。しばらくなら生活に困らないお金もあって、いざとなったら帰れる家もある。だから、もういやだママやめたいとか思ってもなんとか「普通の母親」として、がんばってこられたんだと思うんですね。

今自分がもっている要素のなにかひとつでも欠けていたら、自分も「母親失格な母親」になっていたかもしれない。

 

今回の母親は、客観的にみてもこうした「健全な育児」をやっていける要素が少なかったように思います。そんななかで、この男と出会った。表面的なやさしさだと気づいていたかもしれない。一時的なぬくもりだと分かっていたかもしれないけど、それでも、そんな男にすがりたかったのではないでしょうか。こんな男に、希望を見いだしてしまったのではないでしょうか。

 

 

同じ母親として、非難したいことは山ほどあるし、ほんとに悔しい気持ちにもなるんだけど、はたして「同じ母親として」っていう立場でものを言っていいんだろうか。

同じような年齢の子どもを育てているけど、その環境って全然違う。与えられているもの、もっているものが全然違う。自分の努力で手に入れたものもあるっちゃあるけど、その努力できる環境だって、たまたま自分はもっていただけ。偶然です。

 

普通のママと、虐待してしまう(虐待する男にすがってしまう)ママの違いって、ものすごく不平等に与えられたいくつかの偶然の要素で決まることもあるんじゃないかなあと思ってしまいました。

だから、まあお金も仕事もあるような有名人とかが(これももちろん彼らの努力の賜物でもあります)「同じ親として許せない」とか言ってるのをみると、なんか違うんじゃないかとモヤモヤしてしまうんですよねえ…。同じ親だけど、もっている要素の数、全然違うじゃんて。持っている人からは、やっぱり持たざるものの世界は見えにくくて、理解できないような不安とか孤独とかがあるのをスルーして「同じ親として」意見するのはなんか、違うんじゃないかなあと。

 

具体的な解決策とか、じゃあ自分は何ができるんだってことも思いつかないままつらつら書いて全然まとまってないんだけど、ほんとにこんな悲しい出来事が二度と起きないように、起こさせないように自分にできることはないのか、考えていきたいです。

おしまい